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ルポ

言語の境界を越える居場所づくり
―「Projeto Construir ARTEL」の取り組み―

額賀 美紗子 写真
編集委員
東京大学大学院教育学研究科 教授
額賀 美紗子
東京大学教養学部卒,カリフォルニア大学社会学部博士課程修了(社会学博士)。幼少期に海外に滞在した経験から,国際移動する家族が直面する問題に関心をもつ。移民の子どもの教育機会やアイデンティティ葛藤,移民の親の子育て,多民族化する学校や地域社会の課題を国際比較の視点から研究している。日米の学校や移民コミュニティでフィールドワークを行い,多様性を包摂する教育のありかたについて検討してきた。主な著書に『越境する日本人家族と教育―「グローバル型能力」育成の葛藤』,『移民から教育を考える―子どもたちをとりまくグローバル時代の課題』など。

大阪府堺市で,ブラジルにルーツをもつ子どもたちのための継承語教室と学習支援を行う「Projeto Construir ARTEL」。子どもの言葉や文化,自尊心,アイデンティティを大切にし,「ここにいていい」と感じられる場を,ブラジル人の女性たちが中心になって築いてきた。本稿では,その取り組みを紹介しながら,この教室が外国にルーツをもつ子どもや母親たちにとってどのような意味をもつ場所となっているのかを考え,あわせて日本の学校教育への示唆について検討する。

1. ブラジルにルーツのある子どもを支える

大阪府堺市の住宅街に立つ一軒家。ここには毎週土曜日になると,ブラジルにルーツのある子どもたちが集まってくる。ドアを開けて迎え入れてくれるのは,穏やかなほほえみを浮かべた田中ルジアみやさん。子どもやお母さんたちからは「ルジア先生」と呼ばれている。両親は日本人だが,ブラジルで生まれ育った日系二世で,1996年に就労のために来日した。

ルジア先生が自宅を開放して主催しているのは,ブラジルにルーツがある子どものためのポルトガル語継承語教室と学習支援教室。教室の名称は「Projeto Construir ARTEL」だ。2008年に開設し,今年で18年目になる。「Construir」はポルトガル語で「共に作り上げる」という意味で,子ども,家族,地域が協力して学びの場を築いていくという願いが込められている。「ARTEL」は,Arte(芸術),Educação(教育),Letramento(世界を読み解く力)の頭文字をとっている。ルジア先生は教室を開いた動機についてこう話す。

「子どもたちの言葉や文化,自尊心やアイデンティティを大切にしてあげたい。日本の社会の中で生きにくさを抱えている子もいるけれど,自分の持っている力を発揮できるように支えてあげたいと思ってプロジェクトを始めました。子どもたちに『ここに居場所がある』って伝えたいのね。」

堺市はブラジル人が集住する地域ではないが,この教室のことを知ってさまざまな地域からブラジル人のお母さんと子どもたちがやってくる。中には,他県から片道1時間以上かけて毎週やってくる親子もいる。

私は,「Projeto Construil ARTEL(以下,ルジア先生にならって『プロジェクト』と呼ぶ)」を2024年から3回にわたって訪問し,午前中の継承語教室の始まりから午後の学習支援教室が終わるまでの時間,教室の様子を見学させてもらったり,ルジア先生や支援者の方々,子どもやそのお母さんたちに話を伺ったりした。このほか,毎週金曜夜に開いているオンラインの継承語教室に参加させてもらったり,オンラインで話を聞かせてもらったりしたこともある。3回目の訪問はちょうどクリスマス会の日で,30人以上の親子が集まった。お母さんたちが腕をふるったブラジル料理とブラジル式のゲーム大会やプレゼント交換を堪能した。ポルトガル語がわからなくても,プロジェクトで過ごす時間はとても楽しく,遠方からでも何度も足を運びたい気持ちになっている。

外国にルーツを持つ子どもが日本社会に増えるなか,日本語教室や学習支援教室は各地で見られるようになったが,プロジェクトのように外国出身者が主催する継承語教室や学習支援教室はまだ多くない。この教室ではどのような学びや居場所づくりの取り組みが行われているのだろうか。子どもたちにとって,この教室はどのような意味をもっているのだろうか。さらに,この教室の取り組みは,日本の学校のどのような課題を照らし出すだろうか。本稿では,日本人である私が教室の中に入り,見聞きしたことや感じたことをルポとして紹介しながら,これらの問いについて考えていきたい。

2. ポルトガル語と日本語が混じり合う教室

初訪問の日,午前中の継承語教室に顔を出したのは小学生2人,中学生2人,大学生1人,日本語学校の学生1人の合わせて6人。この教室の常連の子どもたちで,お互い顔なじみだ。ルジア先生はポルトガル語で,「自己紹介してみましょう。できればポルトガル語でね。そのあとはいつもみたいに,今週よかった出来事と,よくなかった出来事を話してくださいね」と声をかけた。

トップバッターに指名されたゆうこさん1は,ポルトガル語で短く話した後,日本語に切り替えて名前と中学1年生であることを教えてくれた。その後はずっと日本語で話し続ける。妹が小学校を卒業して嬉しかったこと,クラス対抗の百人一首で負けてしまって悔しかったことを屈託なく話した。ゆうこさんにとって,ポルトガル語よりも日本語の方がずっと話しやすい言葉であることが感じられた。

他の4人の子どもたちも,ポルトガル語で短く自己紹介したあとは,すぐに日本語に切り替える。かれらは皆日本生まれ,日本育ちで,日本の学校に通っている。家の中では親がポルトガル語を話すが,自分を表現する言葉としては日本語の方がずっと楽な様子だ。

一方,参加者の中に,1年前にブラジルから来日したよしおさんがいた。彼は最初からポルトガル語でたくさん話してくれる。それを聞きながら,日本語で話していた子どもたちも「あー」と声を出したり,うんうんと相槌を打つ。どうやらこの場でよしおさんの話を理解していないのは私だけのようだ。最年長のたかしさんが,私のために日本語に訳してくれた。「弟の小学校の卒業式があって参加したら,ブラジルの卒業式と全然違って驚いた。みんなお行儀がよくて静か。ブラジルではもっとお祭りみたいな騒ぎになる。」

それを聞いた他の子どもたちは,「日本の卒業式はいっぱい練習して大変だよ」「先生怒るしね」と口々に日本語で突っ込みを入れる。こんなふうに,日本とブラジルの慣習の違いが自然と話題になり,話が盛り上がる。ルジア先生や,たかしさんのお母さんはポルトガル語で口をはさみ,子どもたちは日本語で感想を言い合う。日本語とポルトガル語が行き交い,混じり合う空間が生まれる。

「日本で生まれた子でも,ポルトガル語は大体わかっていますね。でも話すのは自信がない。だから自信をもって話してみてっていつも伝えます。大事なことはみんなで楽しくおしゃべりすること。」とルジア先生は言う。

そのために,教室にはさまざまなディスカッションのトピックや教材,ゲームが用意されている。ただ,子どもたちにポルトガル語を話すことを強く促すわけではない。ルジア先生はポルトガル語で子どもたちに話し,問いかけるが,日本語の方が圧倒的に得意な子たちは日本語で返し,時々ポルトガル語の単語やフレーズを口にする。一方,ブラジルから日本に来て間もない子や,日本生まれだがポルトガル語が上達した年長の子は,ポルトガル語で話をして,時々日本語を口にする。だれかがその場でさっと訳してくれるので,ポルトガル語か日本語のいずれかが十分に理解できなくても,話についていくことができる。子どもたちの言語スキルや言語の選好にはグラデーションがあるが,そうした多様性は当たり前にうけとめられ,自分が使いたい言葉で話すことができる。ポルトガル語が分からない私にとっても居心地がいい。

このように,二つ以上の言語を状況に応じて組み合わせ,行ったり来たりしながらコミュニケーションをとるやり方は,トランスランゲージングと呼ばれ,有効な言語習得の方法として,研究が近年進んでいる2。プロジェクトは,日本語かポルトガル語かという二者択一を子どもたちに迫らない。二つの言語の間に境界をつくらず,行き来を柔軟に受けとめる,トランスランゲージングの空間だ。そこでは,子どもたちが日本語であれ,ポルトガル語であれ,自分の得意な言語を資源として使いながら,もうひとつの言語を習得したり,他者とやりとりし,関係をつくったりすることが大切にされている。

子どもやお母さんたちに話を聞くと,プロジェクトに通う中で子どもたちがポルトガル語への関心や理解を深めていっていることがうかがえる。そのことが親子の結びつきを強くしたり,ブラジルという国への関心を育むことにもつながっていたりする。

継承語教室の一場面(筆者撮影)。この日は,ブラジルの伝説的サッカー選手「ペレ」についての動画を見て,ディスカッション。ペレを知らない子どもたちに,ルジア先生とたかしさんのお母さんがポルトガル語で熱弁をふるう。この教室では,親が子どもにブラジルのことを教える機会がたくさんつくられ,親子の会話が促されている。

3. 「ここに来ると楽になれた」

「学校の中の自分とは違う自分を出せるっていうか。この場所がなかったら,やっぱり人生ちょっと変わってたと思います。それぐらい意味のあるところなのかなって」。

そう語るのは大学卒業を控えたたかしさん。ブラジル人の両親の間に日本で生まれた。プロジェクトには8歳の時に母親に連れられてやってきた。たかしさんのお母さんに話を聞くと,ブラジルにいるおじいちゃんやおばあちゃんと話ができるように,ここでポルトガル語を身につけてほしかった,と話す。

一方,たかしさんは当時,教室に来るのは乗り気ではなかった。「土曜はサッカーをやっていたから,それをあきらめなくちゃいけなくて,最初は嫌だった」と話す。だが,通い続けているうちに,自分にとって大切な場所になっていった。

「ここに来ると楽になれました。学校でいじめみたいなものはなかったけど,名前でいじられることはあった。僕の名前,正式に書くとたかしルーカスになります。それを言われても笑って騒いでた。けど,やっぱりもやっとした気持ちがあって,でもそういうのがここに来ると解消できました。自分と同じ境遇の子と話せてよかったなって。」

たかしさんがもやっとした気持ちになったのは,周りの子どもたちの言動の中に,外国にルーツのある自分を嘲笑し,排斥する態度を感じ取ったからだろう。最近では,こうした行動に対してマイクロアグレッションという言葉が使われるようになり,その暴力性や,それを受けた人への心理的ダメージの大きさが問題になっている3。こうした「もやっとした気持ち」を言葉にすることは難しく,共感が期待できなければ相談することもためらってしまう。たかしさんがその気持ちに蓋をして,笑ってやり過ごそうとしたことは,自分の心を守るための防御策でもあっただろう。

だが,プロジェクトでは無理をする必要がなかった。多くの同年代のブラジル人の子どもと出会う中で,外見,名前,言動が「日本人っぽくない」ことでいじられたり,からかわれたりした経験は自分だけではないのだということを知り,それまでの孤独感は和らいでいった。自分と同じような思いや痛みを共有できる仲間ができたことは,たかしさんの安心につながった。プロジェクトは,自分のルーツを隠したりする必要のない,ありのままの自分でいられる居場所になった。この感覚は,ここに通い続ける子どもたちが共有しているものにちがいない。

8歳の時から15年間,大学に入った後もプロジェクトに参加し続け,たかしさんは子どもたちのリーダー的存在になっている。午後の学習支援教室を手伝ったり,イベントのコーディネーターを担当したりして,年下の子ども達から頼りにされる存在だ。さまざまな年齢の子どもたちが混在するのがこの教室の特徴のひとつだが,年長者は年下の子どもたちの憧れ,いわばロールモデルになっている。たかしさん自身,自分が中学生の時にリーダー役を引き受けていた年上のお兄さんがいて,そのリーダーシップが今も印象に残っている。自分もそんなふうになりたいと思った。

年上の子どもたちが勉強を頑張って高校に進学し,中にはたかしさんのように大学に進学してやりたい仕事に就く人もいる。自分と同じようにブラジルにルーツをもつお兄さん,お姉さんたちの姿を見て,自分もこうなりたい,自分にもできるかもしれないと感じるようになり,子どもたちは少しずつ自分の将来を思い描いていくことができる。プロジェクトはそのような出会いとつながりを支えることで,子どもたちの歩む道を照らしている。

4. 学校で「できない子」にされる子どもたち

これまで日本で多くのブラジル人の子どもたちを見てきたルジア先生には,強い願いがある。それは,子どもたちに自信をもってほしい,という願いだ。

「ブラジルのお母さんたちは,子どもには学校に行って勉強して,自分より上に行ってほしいと思っています。でも,日本語できなくて,テストがだめで,先生に注意ばかりされることが続くと,うちの子はできないんだって思ってしまう。学校の先生たちは,外国人だからできない,日本語できないからダメな子だと思ってることが多いです。でも,子どもたちみんな可能性があるのね。だから自分に自信をもってほしい。」

ルジア先生は,子どもの学習支援や,保護者の通訳として日本の学校に行くことも多い。そこでは子どもたちが自信を失っていく様子を目の当たりにすることもたびたびあり,それを歯がゆく思っている。日本語の取り出し授業を受けている子どもも多いが,年齢に見合っていない学習内容で驚くこともあるという。

「高学年なのに,ひらがなやぬりえをずっとやっているの。先生たちは,この子たちはストレスがたまっていて心の問題がある,だから日本語教室でストレスを吐き出すっていうのね。でも,つまらなくなって,日本語教室に行くのが嫌っていう子もいました。ちゃんとした日本語の支援が受けられれば,子どもたちはもっと変われると思うの」。

公立学校に在籍する日本語指導が必要な子どもたちに対する特別な支援は,この10年間で拡充傾向にある。「特別の教育課程」として日本語の取り出し授業を受けている義務教育段階の子どもは,指導を必要とする児童生徒の67.6%。補習や通常教室での伴走支援なども含めると,88.6%が何らかのサポートを受けている4。適切な指導を継続して受けることができれば,日本語力の向上への効果が期待できる。だが,指導方法や学習内容は各学校に任されているため,受けられるサポートには学校ごとに違いがある。文部科学省は「日本語学習と教科学習の統合」をめざしたJSLカリキュラム5の開発を進めてきたが,担当できる教員の不足などから,取り入れている学校は多くない。好奇心を刺激するような日本語指導でなければ,子どもはやる気や自信を失ってしまいかねない。先生たちが自分には期待していないことも,敏感に感じ取るだろう。

ルジア先生は,子どもたちのもつ力が学校で過小評価されてことに深い懸念を示す。

「小学1年生でブラジルから来た子の支援を頼まれて学校に行ってみたら,先生が最初にこう言ったの。『日本語ができない』『ちょっと問題があるかもしれない』。でも私がポルトガル語で話しかけたら,『先生,僕ね,世界地図描けるよ』『旗もたくさん知ってるよ』って言うの。お父さんがいろんな国の話をしてくれて,本も読んでて,すごくいろんなこと知ってる子だったのね。でも,先生はそういうところ見てくれない。まだ来たばっかりなのに,最初に「できない子」って見られてしまったら,その子の人生がどうなるのかなって。でもそういうこと,とても多いんです。」

日本語ができないということは,その子どもに能力がないということではない。しかし学校では,日本語で理解し,日本語で表現できるかどうかが,そのまま学力や能力の評価と結びつき,子どもが本来持っている好奇心や思考力,知識が見過ごされてしまうこともある。ポルトガル語で話しかけたら子どもの目が輝いたというルジア先生のエピソードは,子どもが得意とする言語を時には活かしながら自信を育て,学びを支えていくことの大切さを教えてくれる。

5. 求められる「正しいやり方」への従順さ

日本の学校で「できない子」のレッテル貼りが行われるのは,日本語力の問題に限らない。ルジア先生の話からは,日本の「正しいやり方」に沿わないことが,「できない」という評価につながることがみえてくる。

ルジア先生が小学5年生で来日したばかりのジョアンさんの学習支援をしていたときのこと。算数の時間,担任の先生から,ジョアンさんの解答は合っているが,ひっ算や計算のやり方が違うことを注意された。しかし,ブラジルと日本ではひっ算の書き方や計算の進め方が違う。ブラジルでは指を使って数える子も多いが,日本ではそれを注意されることもある。「この子はそうやって学校で教えられてきたんだから,そのやり方を受け入れてくれてもいいのに」とルジア先生は言う。

その出来事からしばらくたった学期の終わり頃,国によって計算のやり方が違うことを学ぶコラムが教科書の中にあることにルジア先生は気づいた。先生もその内容に触れたが,ジョアンさんのひっ算のやり方と結びつけて考えられることはなかった。ルジア先生は,「もっと早くこの内容を授業でちゃんと扱ってくれていたら,ジョアンさんのひっ算や計算のやり方について,クラスの子どもたちは理解してくれたのではないかしら」と残念そうに話す。

こうしたやり方の違いは,実際に国や文化を越える経験をしたことのある人でないとなかなか認識しづらい。日本の先生は日本のやり方しか知らないことが多いので,それをものさしにして子どもの態度や行動を評価しがちになる。日本語力の不足だけでなく,日本の学校が前提としている学び方や態度や行動様式の「型」を身につけているかどうかが,その子の能力として評価されてしまうのだ。しかし,「型」にはまらないからといって,その子が潜在的に持っている能力が低いわけでは無論ない。問題なのは,「型」にはまらない子どもに,「できない子」というレッテルを貼る周囲のまなざしだ。

こうしたまなざしは,外国から子どもを多く受け入れている他の国々でも同様にみられる。この問題に対して,アメリカでは「文化的に適切な教育(culturally relevant pedagogy)」が提起され,実践が試みられてきた6。これは,学校のやり方に子どもを合わせるのではなく,子どもたちがそれまで身に着けてきた文化的経験や知識を大切にしながら,授業を組み立てていこうとする教育の考え方だ。計算方法の違いがあっても,それを「間違い」として排除することはしない。むしろ,子どもの学びにとって必要な学習資源として尊重し,授業の中に取り入れようとする。

このような取り組みを日本の学校現場に取り入れていくことは一筋縄ではいかないだろう。欧米諸国に比べて,日本では特定の学び方や態度や行動様式が「型」として教え込まれる傾向が強いからだ。しかし,外国にルーツのある子どもたちだけではなく,日本人の子どもたちの中にも,この「型」を息苦しく感じる子たちは少なくないはずだ。子どもたちを一つの「型」に当てはめようとするのではなく,さまざまなやり方が柔軟に受け入れられ,一人一人の学びを支える学校をつくることが,これからますます必要になっていくのではないだろうか。

6. 「あなたはできるよ」というメッセージ

プロジェクトではルジア先生をはじめ,他の大人たちや学習サポートをする大学生が,子どもを励ます言葉をかける場面をとてもよく目にする。何かを聞かれて黙りこんでしまう子がいても,「だいじょうぶだよ」「ゆっくり考えて」と優しく声をかける。その子が一言発すると,「よく言えたね,がんばったね」とねぎらい,その場にいる他の子どもたちもうなずいたり,拍手をしたりする。何かの「型」をものさしにしてその子の能力を測ることとは対照的に,その子自身のペースが尊重され,頑張りが称賛される温かい空間がつくられている。

ここにやってくる子どもの中には,不登校になっている子もいる。かおりさんもその一人だ。小学校高学年頃から体調を崩すようになり,学校に行く頻度が減っていった。ルジア先生は,かおりさんの気持ちを思いやりながら,「とにかくプロジェクトには来てねってずっと言い続けました」と話す。ルジア先生は中学に進学するかおりさんに向かってこう言った。「かおりはできる子なんだからね。自分ができるっていうアピールをしなくちゃだめよ。自分との勝負だからね」。これを聞いたかおりさんは,力強くうなずいていた。中学に入学してから二年,かおりさんはプロジェクトに通い続けている。学校にも以前より行けるようになり,高校進学を志している。

ルジア先生が子どもたちに前向きな言葉をかけることを大切にする背景には,子育て中に起きた自身のつらい経験がある。いじめを受けたこときっかけとなって,二人の子どもたちが不登校になった時期があった。「ブラジルに帰れって言われたこともありましたね」。自信を失って家にこもる子どもたちの様子を見て,胸が張り裂けそうだった。一番辛かったのは,中学校の先生が進路について放った言葉だった。

「子どもの高校のことを先生に相談しに行ったら,『お母さん,お金ないんでしょ。夜間の高校に行って昼間は働いてもらったら楽になりますよ』って言われました。私はすごく腹が立って,それは嫌ですって言いました。うちの子はできる子だから,勉強したいっていう気持ちがあるから,どんな学校があるか,どうしたらいいかを教えてほしかったのに,何回学校に行っても全然相談に乗ってくれませんでした。」

こうした状況の中で,ルジア先生の子どもたちは「ブラジルに帰りたい」と言うようになった。ルジア先生も帰国を考えたが,子どもたちの将来のことを考え,日本の高校に進学させた方がいいと判断した。受験制度や高校のことは自力で調べた。そのかいあって長女は希望の高校に進学し,ルジア先生の後押しもあって大学にも進んだ。

子どもの可能性を信じて,期待を高くもつことが,その子の自信や将来につながることを身をもって知っているからこそ,ルジア先生は子どもたちを励まし続ける。その考え方と取り組みはプロジェクトの柱となり,この教室は「あなたはできるよ」というメッセージに満ちている。ここに来てから,子どもがおしゃべりになったり,明るくなったりする様子を,ルジア先生は嬉しそうに語る。

プロジェクトに小学一年生から通い続けているゆうこさんも,励ましのメッセージを確実に受け取っている一人だ。両親がブラジルから来日し,ゆうこさん自身は日本で生まれ育った。日本語会話に不自由は全くないが,学校の勉強で苦労している。プロジェクトの学習時間に,ゆうこさんは中学校で自分が障害のある子どもや不登校の子どもに向けた取り出し指導の対象になっていることについて,ルジア先生に不満をもらしていた。

「もう中二の終わりなのに,ゆうこだけ中一の最初の方やっている。ゆうこ障害ないのにここに行かなきゃいけないのおかしいよ。もう高校の受験があるのに,このままじゃ間に合わない。みんなと一緒のいつものクラスにいたい。」

取り出し指導の判断は,ゆうこさんの成績をもとに行われたらしい。その判断に不満を感じているが,「先生が怖い感じで無視される。言えない」とゆうこさんは語った。ルジア先生は静かに耳を傾けた後,ゆうこさんの目を見つめてこう言った。「ゆうこ,これは自分のことだからね。自分がしっかりして頑張らないとだめだよ」。ゆうこさんは「うん,がんばるよ。高校行きたいからね」と返す。ゆうこさんが席を外すと,ルジア先生は私にこう言った。

「あの子,さっき初めて自分は『障害がない』ってはっきり言った。今までは自分のこと全然話せなかったの。自信がない感じで。でもすごく成長している。」

その時から二年が過ぎ,ゆうこさんは高校生になった。将来の希望を聞くと,「幼稚園の先生」という答えがすぐに返ってきた。「ここに来て小さい子たちをずっと面倒見てあげたりとか,そういうお世話してて。子どもと遊ぶの好きで楽しかったから,幼稚園の先生いいなって思った。」

日本の学校で自分の可能性を否定され,自信を失ってしまう外国ルーツの子どもは多い。だが,「あなたはできるよ」というメッセージを発してくれる人たちが集う場所につながることで,子どもたちは少しずつ自信を取り戻し,自分の未来を思い描くことができるようになる。

7. さまざまな人が出会い,つながる居場所

プロジェクトには,年齢や国籍や職業を越えて,さまざまな人たちが集う。ポルトガル語しか喋れなくても,あるいは日本語しか喋れなくても,誰もが歓迎される開かれた場所になっていることが,プロジェクトの大きな魅力となっている。

まずは,プロジェクトの活動をさまざまな方向から支えるブラジル人の女性たち。昼食前には10人以上が広いキッチンに集合し,30人分以上はありそうなブラジル料理を何皿も作っている。他の女性たちも自分の家で作ったおかずやお菓子をテーブルの上に並べ,ポルトガル語で話に花を咲かせている。今教室に通っている子どものお母さんもいれば,すでに子どもが成人している先輩ママもいる。ここは,子どもが自分と同じような境遇にある子と出会う場所であると同時に,女性たちが出会い,子育てや仕事の悩みを打ち明けたり,相談に乗ったりする場所でもある。その中には,子どもの継承語教室や学習支援をサポートする人たちもいる。セシリアさんは,子どもが成人後もプロジェクトに通い続けるメンバーの一人だ。

「ここはブラジルの香りとか,ああ,ブラジルに帰ったみたいだなって思うような,ブラジルの思い出にあふれている場所。なんていうかな,温かくて明るくてちょっとうるさいけど楽しいのね。」

面白いのは,お母さんたちが作り出すそうしたブラジルの空間の中に,多くの日本人も参加していることだ。ルジア先生は複数の大学のゼミと長く交流していて,何人もの大学生が学習ボランティアとして子どもたちの勉強を手伝いにきている。教室が企画した運動会やブラジル音頭会のような大きなイベントは,大学の敷地を借りて実施してきた。いろいろなイベントの運営でも,大学の教員や大学生たちが手を貸してくれる。大学の教員が,子どもや親向けのレクチャーのために教室を訪問することもたびたびある。

地域の行政ともつながりを深めている。2008年からプロジェクトはお昼の時間帯を堺市の「子ども食堂」として地域に開放していて,市がとりくむ「さかい子ども食堂ネットワーク」に参加する。その縁から,「子ども食堂における芸術家派遣」事業にも加わり,2025年度は堺市文化振興財団と共同でアートワークショップを数回にわたって開催した。私が教室を訪問した日にちょうど職員の方々が次年度の打ち合わせのためにいらしていたが,子どもたちは嬉しそうな顔で出迎えていて,関係が築かれている様子がうかがえた。

プロジェクトは日本の社会に根を張り,言語や文化,年齢,国籍,職業といったさまざまな境界を越えて,多様な立場の人たちが居心地よく過ごせる場所になっている。そうした寛容さ,器の大きさがこのプロジェクトにはある。ここでは,外国にルーツをもつ子どもたちやお母さんの尊厳が大切にされ,日本人の目からは見えにくいニーズにも丁寧な配慮がなされている。そこに関わる日本人にとっても,これまで知らなかった価値観や生き方に出会い,かれらが日本で経験してきた痛みや,かれらのもつ力を知ることで,自分の考え方や社会のあり方を見つめ直すきっかけが与えられている。

外国人当事者たちがリードする団体はまだ多くない。こうした団体が長く活動を続けていけるよう,財政的な支援はもとより,日本の行政や学校,地域の市民団体との協力関係を築いていくことが期待される。外国にルーツのある大人や子どもたちが,支えられる存在としてではなく,地域社会をともにつくる仲間として関わっていくとき,日本の社会のあり方もまた少しずつ変わっていくのかもしれない。多文化共生社会とは,スローガンによって実現されるものではなく,このプロジェクトのような場所で,人と人とが出会い,関係を築いていくことの積み重ねのなかから形づくられていくものではないだろうか。

クリスマス会の一場面(筆者撮影):ブラジルの手料理がずらりと並ぶ。キッチン兼ダイニングルームはいつもおしゃべりで賑やか。残った食べ物は,パックにいれて参加者に持ち帰ってもらう。「家に帰って料理するのは大変。ゆっくり家族と過ごせるように持って行ってもらう」とルジア先生。両親が仕事で忙しく,親子団らんの時間が取りづらい状況への配慮がなされている。

[謝辞]

快く取材に応じてくれたルジア先生,子どもたちと保護者の皆様に,心より感謝申し上げます。

1 子どもたちの名前はすべて仮名である。仮名は,本名の音や語感のニュアンスを残したものにしている。
2 García, O., Johnson, S I., & Seltzer, K. (2017) The Translanguaging Classroom: Leveraging Student Bilingualism for Learning. Philadelphia, PA: Caslon.(=2024,佐野愛子・中島和子[監訳]『トランスランゲージング・クラスルーム 子どもたちの複数言語を活用した学校教師の実践』明石書店.)
3 Sue, D.W. (2010), Microaggressions in Everyday Life: Race, Gender, and Sexual Orientation. Hoboken, NJ: John Wiley & Sons.(=2020, マイクロアグレッション研究会[訳]『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション――人種,ジェンダー,性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』明石書店.)
4 文部科学省(2026)『令和7年度 日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査結果 結果の概要』.
5 文部科学省(2001)『「学校教育におけるJSLカリキュラムの開発について」(最終報告)小学校編』https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/003/001/008.htm (2026年3月15日アクセス)
6 Ladson=Billings, D. (1995) “Toward a Theory of Culturally Relevant Pedagogy.” American Educational Research Journal, 47: 465-491.
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