公立学校で働く外国籍教員から考える多文化共生と教育の課題
―生を軽視する植民地主義の克服を目指して―
本稿は,公立学校で働く外国籍教員をめぐる諸問題を入り口に,日本における多文化共生と教育の課題を考察するものである。外国籍者の「二級教員」としての取り扱いを可能とさせているのは,公務員に関する「当然の法理」という政府の見解であるが,それを支えているのはこの社会と外国人政策に貫かれる植民地主義である。植民地主義は,異質な他者の生(生命,生活,生涯)を同等なものとして認めない。多文化共生を真に外国人たちの平等な生の保障に資するように機能させるには,その理念を脱歴史化・脱政治化しない地点で定立させる必要がある。
1. 「任用の期限を附さない常勤講師」
2025年現在,すべての都道府県および政令指定都市教育委員会が,日本国籍を有しない者(外国籍者および無国籍者)の教職員採用試験の受験を認めている。しかしながら高等教育機関等において所定の単位を取得し,日本の教育職員免許状を持ち,日本国籍者と同じ採用試験に合格しても,教育委員会に任用される際,その職はほとんどの地域で「教諭」ではなく「任用の期限を附さない常勤講師」となる。
この「任用の期限を附さない常勤講師」という職は,在日コリアン3世以降の法的地位に関する日韓協議を踏まえて,日本国籍を有しない者(以下外国籍者とする)のみを対象とする職として1991年に新設された1。一般の教諭との違いは,当時の文部省によって大まかに下記のように規定されている2。①教育指導においては教諭と同等の役割を担う。②制度上(学校教育法施行規則),教諭以上に制限している職(教諭,教務,主任,学年主任など)や管理職に就けない。③給与は教諭と同等の2級。④定年まで勤めることが可能で,任期の定めがない。⑤研修,人事異動は日本人の教諭と同様に行い,資質能力向上を図る。
業務内容も雇用期間も研修等もすべて日本人の教諭と同様,ただ学年主任や管理職に就くことはできない,また給与は定年まで昇級なしの2級――3。一体何のためにこのような複雑な職がわざわざ設けられたのだろうか。全国の公立学校には500名ほどの外国籍教員が働いていると推計されている(公的機関による統計はない)。外国籍者だけがまるで「二級教員」のように扱われるこの問題は,外国籍者の労働,教育,政治参加の権利が交差する大変重要な問題であるものの,日本社会における認知度は決して高くない。
2025年4月にもこの問題の周知ならびに解決を目指し院内集会が開かれた。当日放映された当事者たちのビデオメッセージの一部を紹介しよう(『神奈川新聞』2025年5月8日付)。
「在日コリアンとして日本で生まれた。地元の公立小中学校で素晴らしい先生方と出会い,より良い社会の構成員になるため違いを違いのまま尊重し,ぶつかれば話し合い,共に生きるクラスをつくろうと教わってきた。これは教員としての私自身の指標になっている。
しかし,私たち外国籍教員は違いを違いのまま尊重されない現実を生きている。いつまでも教諭になれず,学校の意思決定のプロセスに参画できない。昇進のチャンスが最初から与えられていない。多様性社会といった言葉や概念の中に,私たち外国籍教員の存在は見つけられない。
共に生きるクラスを目指しながら,共に生きる社会を目指せない矛盾に苦しんでいる。将来私たちと同じ思いを抱く子どもがいるかもしれないと思うと,やりきれない。子どもたちには,違いを尊重し,ぶつかったときに話し合い,歩み寄り,共に生きるクラスで過ごしてほしいし,そんな社会で生きていってほしい。この社会を構成する一員として,学校教育に携わる一員として,私たちの声を聞いてほしい」(李京旻さん。韓国国籍,京都府内,中学校教員)
「日本で生まれ育った日系ブラジル人だ。採用時に教育委員会から,学校に問い合わせがないように通称名の漢字による登録を提案された。迷惑にならないようそうしたが,時間がたつにつれ本名を名乗れないことに大きな違和感を持つようになった。
保護者から愛国心はあるか? 心は日本人と思ってもいいか?と言われたこともある。このような経験から,自分らしく働くことが難しく感じた。子どもらに自分らしさを大切にと伝える自分が,一番自分らしさを出せず苦しい。
私の肩書は教諭ではなく「期限を附さない常勤講師」。管理職などになれず処遇面でも差がある。教員採用試験に合格し,周りの教諭と変わらず子どもたちと懸命に向き合っていても,外国籍という理由だけで格差がある。納得できない。まずは,採用試験に合格した者は国籍を問わず教諭として採用するよう望む。周囲の先生はこうした処遇を知らないことがほとんどだ。国会でも実態を把握し,改善を望む。外国籍の先生がありのままで日本の教育に携わっていけることを願う」(フクモト・ウィリアン・ガブリエル・カズユキさん。ブラジル国籍,三重県内,小学校教員)
多様性や平等を価値あるものとして子どもたちに教えながら,自分自身がそのように扱われていないことの矛盾。「愛国心」や「日本人」としての「心」なるものを外国人だけが問われる非対称性。本名ではなく通称名を使わざるを得ず,ありのままの自分として子どもたちの前に立てない葛藤。同僚や管理職さえも「任用の期限を附さない常勤講師」について詳しくわかっていないことへのもどかしさと悔しさ……。本来抱える必要のない困難を外国籍教員たちは強いられている。一向に改善の兆しを見せない状況に教壇を離れた者も少なくないことだろう。
外国籍者のみを対象としたこのような不当な取り扱いを可能とさせているのは,70年以上前に出された内閣法制局の一つの見解――公務員に関する「当然の法理」である。
2. 公務員に関する「当然の法理」
公務員に関する「当然の法理」は,日本の植民地支配という歴史と深く関わっている。日本の植民地支配下にあった台湾人,朝鮮人は,日本帝国天皇の臣民として日本国籍となり,国籍離脱の自由も認められていなかった。その中には内地で公務員や国鉄(現JR),郵政省の職員として働いている者もいた。1945年8月,日本の敗戦に伴い植民地は独立を迎えるが,旧植民地出身者は講和条約を結ぶまでは引き続き日本国籍を持つという立場を日本政府はとった。そしてサンフランシスコ講和条約が発効する1952年4月,台湾人および朝鮮人は選択の余地なく一方的に日本国籍を喪失することになる。国家公務員や地方公務員の職にあった旧植民地出身者に対しては条約発効以前の「帰化」申請を求めたが,しない者もおり,ここで日本国籍を喪失した者が公務員の地位を失うのか否かが問題となった。各地からの照会に対し1953年3月,内閣法制局第一部長高辻正巳によって政府の見解がまとめられる。
このいわゆる「高辻回答」において登場するのが,法律の条文には書かれていないが,書かれるまでもなく自明なことを意味する「当然の法理」である。「わが国の公務員が日本国籍を喪失した場合,その者は,公務員たる地位を失うか」という問題に対し,「意見及び理由」として,以下のように示された(内閣法制局第一部長高辻正巳発,内閣総理大臣官房総務課長栗山廉平宛「公務員たる朝鮮人,台湾人の帰化の手続について」(法制局一発第29号,1953年3月25日))4。
法の明文の規定でその旨が特に定められている場合を別とすれば(例,内閣総理大臣に関する憲法第六十七条及び公職選挙法第十条),一般にわが国籍の保有がわが国の公務員の就任に必要とされる能力要件である旨の法の明文の規定が存在するわけではないが,公務員に関する当然の法理として,公権力の行使又は国家意思の形成への参画に携わる公務員となるためには,日本国籍を必要とするものと解すべきであり,他方においてそれ以外の公務員となるためには日本国籍を必要としないものと解せられる(この点については,別添の諸回答文を参照されたい。)。従って,お尋ねの場合も,日本国籍を必要とする旨の法の明文の定めがある官公職又は公権力の行使若しくは国家意思の形成への参画にたずさわる官公職にある者は,国籍の喪失によって公務員たるの地位を失うが,それ以外の官公職にある者は,国籍の喪失によって直ちに公務員たる地位を失うことはないものと考える。
この回答は国家公務員と日本国籍との関係に関する見解であったが,「国家意思の形成」は後に「地方自治体の意思形成」,「公の意思形成」と拡大され,地方公務員にも当てはめられた。「法の明文の規定が存在するわけではないが……日本国籍を必要とするものと解すべき」とは,それこそどのように解すべきか不詳である。実際,公立学校の教員に関わる地方公務員法,教育公務員特例法,教育職員免許法には国籍に関する規定は存在しない。しかし公立学校教員の仕事は「公権力の行使」「公の意思形成への参画に携わる」とされ,正規教員として採用されても日本人と同様の職には就けないという解釈と実践が定着していく。
1970年代中盤以降は大阪府,大阪市,東京都,三重県,兵庫県,神戸市,愛知県,名古屋市など国籍条項を廃止し,外国籍者を教諭として採用する動きも見られた。だが政府は1980年代に外国人を教諭として任用することは認められないと地方自治体に釘を刺す。任命権者である教育委員会は萎縮し,国籍条項を復活させたり採用が控えられたりすることになった。こうした膠着状態を「打開」したのが,先述した日韓協議であった。1991年度に実施される各地の採用試験から国籍条項は一斉に撤廃され,外国籍者の採用の職も(一部地域を除き)「任用の期限を附さない常勤講師」へと統一されることになる5。
筆者は2012年より外国籍教員に関する共同研究に参加しているが,政府(や自治体)が,職において外国籍者を排除する仕組みをつくり,それを放置し続ける合理的な理由が未だにわからない。理由として持ち出されるのはいつも「当然の法理」,すなわち「言わずもがなそういうものでしょう」という理屈を超越した見解だけであり,この排除を正当化する説得的な主張に出会ったことがない。先述のように関連法には国籍条項はないし,経験ある教員を主任に配置できないといった現場での不都合も生じている。外国籍者を教諭以上に就かせないどのような合理性や利点があると言うのか。
それともやはり,「当然の法理」というのは単なる方便でしかないのか。たとえ教員免許を取得し,同様の採用試験に合格していたとしても,外国人に「日本の(子どもの)」教育は任せられないといった共通認識がうっすらとあるが,それはすなわち国籍で人の能力や内面を判断することを意味し,さすがに無根拠で露悪的過ぎるために,本音を言えないだけなのだろうか。
ここでは「当然の法理」をめぐる歴史や議論を詳述することはできないが,日本の外国人政策に貫かれる植民地主義colonialismについて指摘しておきたい。敗戦から1980年代まで,日本で生活する外国人の8~9割は在日朝鮮人(朝鮮半島出身者)であった。出入国管理,社会保障,教育をはじめとした外国人に関する諸政策は,基本的には朝鮮人を想定して展開されたと言って良い。それらには共通して被支配者たる外国人の生(生命,生活,生涯)を軽視して良い,尊重しなくて良いという思想――植民地主義が流れている。外国籍教員をめぐる不当な取り扱いも,この継続する植民地主義の視点から捉える必要がある。
3. 外国人政策に貫かれる植民地主義
帝国主義の時代と呼ばれる19世紀末から20世紀初頭,帝国は,勢力拡大のための植民地獲得競争を繰り広げる。支配を正当化するために動員されるのが植民地主義だ。
ここでは植民地主義を以下の様に捉えておこう。植民地主義とは,支配される側(被支配者)を,支配者に対し遅れた存在とみなし,そうした状態を是正・改善・解消する存在として自らを位置づけ,これまでの,またこれからの侵略や支配,暴力を正当化する思想である。被支配者を野蛮,停滞,幼稚,不潔,怠惰,未開,原始的などと規定することで,支配者側は証明するまでもなく,文明的,進歩,成熟,清潔,勤勉,近代的といった価値をまとうことになる。支配者側にとって被支配者側を文明化させることは責務であるとすら認識されており,そのための主たる手段が開発と教育であった。植民地主義は人種主義と表裏一体であり,またセクシズムとも連動する[1]。
アルベール・メンミが指摘するように[2],様々な差別は差異を利用することで行われる。すなわち文化や肌の色,宗教,居住地,身体的・精神的・知的特徴,セクシュアリティといった人々の間に存する違いが差別を生むのではなく,差別しようとする意思がそうした差異を利用するのである。現実のあるいは架空の差異が発見され,価値づけられ,これが優れている,あれは劣っていると人々を序列化する。そうした秩序のもと,差別する側は何らかの利益を得ることになる。帝国による植民地の獲得と支配を正当化する植民地主義も,こうした差別の構図を共有している。
被植民者の劣等性,あるいは植民者の優位性の証明は科学によっても担われた。それは大日本帝国においても同様である。1903年,大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会(他国の参加もあったため「明治の万博」と称された)では,民間パビリオンとして「学術人類館」が設置された。この設置には,日本最古の学会の一つである東京人類学会(現在の日本人類学会)が関与していた。人類館では,「7種の土人」として,琉球民族,アイヌ民族,台湾の先住民族,朝鮮民族,清国人,インド部族のバルガリーなどが「展示」された。生身の人間が見世物として「展示」されたのである。立て札には「性質が荒々しいので笑ったりしないように」と書かれ,解説者は鞭でそれら人々を指し示しながら紹介したという。その後も内地の周縁や外地に生きる人々の「展示」は,国内外の博覧会で続けられた。支配者たる内地の日本人と,被支配者たるそれら人々との差異が「科学的」に強調され,絵葉書などでそのイメージが社会に拡散されていった[3]。大和民族の優秀性や,それを前提としながらも支配を正当化する同祖論を証明するために,琉球やアイヌの人々の遺骨や遺物を非倫理的に収集する蛮行も,学問や研究の名を借りて行われた[4]。
以上の僅かな例からも明らかなように,死後の扱いも含め,植民地主義は支配者と被支配者の生(生命,生活,生涯)を同等なものとみなさない。近代の要件でもある「人権」という考えの根底には,「生命尊重の思想」がある。平たく言えば,あなたと私の命は同じように大切であるという前提があって初めて,人権は成り立つ。前近代の身分制社会では,支配階級と被支配階級の命の価値は同じではないということが社会システムとして組み込まれていたため,人が人であることのみを要件として付与される人権human rightsという概念が成り立たない。ところが近代国民国家の言わば発展形としての帝国は,近代の理念として少なくとも建前上は掲げられた生命尊重の思想を否定する植民地主義を動力としていた6。生が同等なものとして尊重されない被支配者たちは,生物学的な生命はもちろん,社会的存在としての尊厳ある生活がいつ脅かされるともしれない状況を生きなければならなかった。被支配者たちはその生life(生命,生活,生涯)に,日常的な暴力の予感を覚えざるを得なかったのである。
さらに植民地主義は,帝国解体後も継続するという特徴を持つ。思想史家の中野敏男は,以下のように述べる。「植民地主義というのは,単に領土的・主権簒奪的な支配だけをさすのではないし(それゆえ政治的に「分離」していても植民地ではありうる),また単純な収奪や搾取だけのことなのでも決してなく,むしろ人間のカテゴリー化を本質属性としながら,それによって差別的な秩序を構成して支配しようとする統治形式であり,この統治はそれゆえにこそ諸個人の社会意識や自己認識(アイデンティティ)にまで深く食い込んで支配関係をそこに刻印するものなのである」[5]。
帝国が解体し,被支配者たちが植民地支配から解放されても,植民地主義によって認識に刻まれた支配関係は即座に解消されない。今日においても,西洋の文化や芸術こそが正統なものであると認識されていたり,黒人が運動能力に優れていて野性的であると見做されたり,あるいはアフリカやアジアに貧困のイメージがつきまとい,また実際にそうした現実があるのであれば,それは植民地主義と無関係ではない。日本においても,朝鮮人に差別的な政策や制度が存在したり,朝鮮人が自身の出自や名前を隠して生きていかざるを得ない現状があるのだとすれば,継続する植民地主義という視点から,それらの問題について考えられなければならない。
被支配者の生を支配者のそれと同等なものとして扱わない植民地主義が帝国解体後にも継続するということは,日本で言えば1945年8月の敗戦以降も,植民地支配下にあった台湾人や朝鮮人の生の軽視が続いていることを意味する。敗戦から76年後の2021年に朝鮮人集住地域であるウトロ(京都府宇治市)に火を放ち,人々の命と思い出,財産を灰燼に帰そうとした若者の行動にも,このことはよく表れている。
ただし繰り返し強調しなければならないが,生の軽視は個人の思想や言動によってのみ具現化されるわけではない。帝国が植民地を異法域として統治したように,これらはむしろ法律や制度に組み込まれる形で社会に現れる。生活保護や健康保険,公営住宅への入居,国民年金といった社会保障制度もかつては外国籍者に適用されなかったこと[6],学校における子どもと教職員の健康の保持増進を目的に,環境衛生の維持と改善,健康診断の実施,保健室の設置などを義務付ける学校保健安全法が,「各種学校」(学校教育法第134条)としての外国人学校には適用されないこと[7]など,具体的な例は枚挙に暇がない。コロナ禍においてある自治体が,朝鮮幼稚園にだけマスクを配布しない方針を示したこともあった。
日本の外国人政策や日本社会に,形を変えながらも確かに継続してきた外国人の生を軽視する植民地主義――。多文化共生という理念もまた,これと無関係ではないのである。
4. 脱歴史化・脱政治化しない多文化共生と教育へ
「反差別」「人権」を軸として大阪や川崎といった地域の市民が立ち上げていった多文化共生という理念も,本来は植民地主義への抵抗やその克服,すなわち反植民地主義の性格を内包していたはずである[8]。だが実際には,およそ四半世紀前に岸田由美が憂慮したように,在日外国人の量的増加・質的多様化の中で在日朝鮮人の「固有性や歴史性」は「埋没させられてしまい」,「日本(人)にとっての対朝鮮脱植民地化の課題が十分に達成されないままに,日本(人)にとっての痛みが見えにくく,教育行政側にとって都合のよい国際化の課題に回収されて」しまう事態が進行してしまっているのではないだろうか[9]。
植民地主義や植民地支配責任をめぐる問題の象徴としての在日朝鮮人が,全外国人に占める割合が相対的に小さくなったからといって,それらの問題が解決・解消されたわけではもちろんない。歴史的文脈を等閑視した多文化共生理念・実践は,歴史的に継続する問題を覆い隠してしまいうる危険性すら孕んでいる。日本における多文化共生を真に外国人たちの平等な生の保障に資するように機能させるには,その理念を脱歴史化・脱政治化しない地点で定立させる必要があるのだ。
先日,とある報道番組で,日本人教師たちが続けてきた朝鮮学校での「交換授業」が取り上げられた。VTR後,スタジオの解説者は,「互いのルーツや文化をリスペクトすることはとても大切だ」という主旨のコメントをした。この主張それ自体は,誤ってもいないし不当でもない。しかし在日朝鮮人や朝鮮学校の歴史,とりわけ政府による弾圧や制度的排除,学校襲撃事件をはじめとした民間による差別の歴史と,そうした中続けられてきた日本市民たちの取り組みだからこそ有する意義を捨象し,ただルーツや文化を尊重することは重要だという一般論に回収するだけでは,この社会に存する植民地主義の克服という歴史的課題にはいつまでもたどり着けない。
多様性やダイバーシティを推進する今日の動向に対する,以下の岩渕功一の指摘には,何度でも耳を傾ける必要があるだろう[10]。
多様性をめぐる問題は「すべての差異を大切にする」といった心地いい「ハッピートーク」として語られがちになり,既存の差別構造に異議を申し立てたり,差別による格差と分断を問題視したりするのではなく,あたかもそうした問題はすでに解決されて,もはや存在していないような平等幻想を作り出すことに寄与する。多様性/ダイバーシティは組織の肯定的で明るいイメージを提供するが,それは組織内部の不平等の存在を隠蔽し再生産させてしまってもいるのである。……まずは,多様性をこれから奨励するべきものとしてではなく,常にすでに日本社会に存在してきたものとして認識して,様々な差異をめぐる構造化・制度化された不平等や差別の歴史と現状をしっかりと理解する必要がある。そのうえで,誰のどのような差異がそこには含まれていないのか,様々な差異とそれをめぐる差別・不平等が日本社会に存在してきたことが見失われていないのかを考察して,どのような包摂と排除の力学が作動しているのかを検討することが求められるだろう。
なぜ様々なルーツや文化が平等に扱われない現実があるのか。それはどのような制度や政策,慣習等によって構築され維持されてきたのか。そこにはこの社会のどのような思想的課題が胚胎しているのか――。こうした問いを封じる多文化共生言説・実践に,私たちは細心の注意を払わなければならない。とりわけ脱政治化・脱歴史化した「ハッピートーク」が展開されがちな教育領域については,より一層の注意が求められる。
5. 外国人の「生」が尊重される社会に向けて
「最近どう生きてる?」――2025年の夏,外国籍教員Aさんが,外国籍教員らの集いで出会ったBさんに送ったメッセージである7。外国籍の者,あるいは外国になんらかのつながりのある者にとって,さながら地獄のような経験となった参議院選挙を経て,Aさんは一縷の望みをかけて,まさに必死の思いでこのメッセージを打った。
2025年7月の参議院選挙は,これまでのそれとは一線を画すものであった。「日本人ファースト」を掲げる候補者が現れ,日本人の生(生命,生活,生涯)を優先・重視するのは当然である,ここは日本だ,外国人は日本人よりも学費や税などを多く負担しても仕方がない,それが嫌なら出ていけといった排外主義的な主張が街頭でもテレビやラジオでも,SNSでも繰り返された。政権運営の「中間テスト」とも呼ばれる参議院選挙が,気づけば「外国人問題」なるものがその争点の一つとなり,各党はこぞって選挙期間中に新たな外国人政策を発表していった。社会に広がる敵視,危険視,疑問視,蔑視のまなざしが,まさに自分自身に向けられている外国人の中には,駅前や町中での排他的言説との唐突な遭遇を避けるために外出を控える者もいれば,このような主張を繰り返し垂れ流すだけの報道やSNSを見ないようにする者もいた。
Aさんは高校で社会科を教えている。選挙権のない彼女にとって,選挙について教えることはこれまでも簡単なことではなかったが,今回は各政党の政策を比較検討する授業も行えなかった。「生徒も,自分も受け止めきれない」と感じたのだという。また,政策への批判が「外国籍の先生だから言っているんだろう」と生徒たちに思われるかもしれないと考えると,言葉が出てこなかった。もし夏休み明けに「〇〇ファースト」という言い回しを悪気なく使っている生徒が現れたらどうすれば良いのか……。食事ものどを通らなくなり,Aさんは体調を崩していった。久方ぶりの連絡がAさんのSOSだと気づいたBさんは,自らの家に彼女と2人の外国籍教員を招き,4人で食事をしながら,泣きながら語り合ったという。Aさんは「取り組むべき社会的課題が多すぎて,個人的な話をしてこれなかったことに気づいた。本当はこうした状況の中で傷ついているし,怒っていることを話せてこなかった」と振り返る。
政治家をはじめとした権力を持ちうる立場にある人々の差別を助長・扇動する言動が,いかに当事者らの生に影響を与えるのかが見て取れる。梁英聖が指摘するように[11],差別を定義し,加害者を処罰し,被害者を救済する制度が整えられていない現状の日本では,被害者たちは互いの自助努力で苦しみを癒すほかない。
レイシズムを,外国人への否定的な感情や誤解といった個人的レベルで捉えてはならない。外国人が想定されていなかったり,差別がすでに埋め込まれている法律や制度,その制定に関わる権力を有する者によって発せられる,外国人を国民と同等に扱わなくてよい,尊重する必要がないという明示的あるいは暗示的なメッセージは,この社会を生きる諸個人の外国人認識や外国人に対する言動に影響を与える。レイシズムが構造的なものであるという基本性格を忘れ,善人は外国人差別をしない/悪人は外国人差別をするというように,外国人差別を個人の次元へと還元している限り,この社会からレイシズムがなくなることはない[12]。
今日,日本における排外主義は国家レベルの法やその運用,外国人政策ばかりでなく,外国人が生活する地方自治体にまで広がっている。三重県の一見勝之知事は2025年12月の定例記者会見において,外国籍者の県職員採用を早ければ2026年度から取りやめる方向で検討を始めること,また毎年行われてきた「みえ県民1万人アンケート」において,この是非を問う旨を明らかにした。知事はその理由を,情報漏洩を懸念してのことだと述べた。三重県は,2022年に属性や分野を限定しない包括的な差別禁止条例を制定した全国初の自治体であっただけに,知事が表明した方針は多くの関係者に衝撃を与えた。実際,県の方針に対しては多くの市民団体のほか,多文化共生に逆行するとして県下の名張市,伊賀市からも反対の声が上がっている。2026年3月12日には日本弁護士連合会(日弁連)からも「地方公共団体における外国籍者の採用の在り方に関する会長声明」が出され,「公務員には,その国籍を問わずに,法令による守秘義務が課せられていることに照らせば,十分な根拠を示さないまま国籍と情報漏洩のリスクとを一般的に結びつけ,外国籍者という属性それ自体を理由として,採用の機会を一律に制限することは,外国籍者に対する偏見や差別を助長するおそれがある」と,その問題点が指摘された8。
アンケートの結果をどう扱うかは現時点では不詳だが,言うまでもなくマイノリティの人権に関わる問題の是非を多数決で判断してはならない。キム・ジヘが指摘するように,「多数派が下した決定によって,少数派に対する不正義が容認されるのは民主主義ではない」ためだ。民主主義社会において重要なのは「人権と正義の原則」であり,「私たちに必要な同意は,平等な民主主義社会をつくる基本原則に関するものであり,だれかを差別すべきだという多数の主張を受け入れ,民主主義の根本精神を傷つけることになってはならない」のである[14]。参政権を持たない外国人という社会的少数者を積極的に排除しようとする排外主義は,民主主義理念の対極にあると言って良く,その蔓延は民主主義社会そのものを破壊しうる。
上からの(管制の)排外主義は,下からの(一般市民の)排外主義を助長する。クルド人を標的としたヘイトスピーチ,ヘイトクライムやモスク建設反対運動をはじめ,この社会の外国人嫌悪は強まる一方である。
今日日本で生活する外国人は,このような日本社会の日常を生きていかなければならない。学校で学ぶ外国籍,外国にルーツのある子どもたち,また学校で教える外国籍教員や外国につながりのある教員にも,(主としてネガティブな)影響を及ぼしていることだろう。公立学校で学ぶ/教える外国人ばかりではない。いわゆる「高校無償化」制度についても政府は「外国籍生徒,外国人学校の扱いについては,現行制度の受給資格を見直し,在留資格を要件とする制度を導入することとし,具体的には,「留学」等の「我が国に定着することが見込まれない在留資格者」を対象外とする。また,各種学校のうち外国人学校を指定する制度については,廃止する」方針を示している(「三党合意に基づくいわゆる教育無償化に向けた対応について」文部科学省,総務省,財務省の連名,2025年12月29日付)。
教育とは現代の社会を生きていくうえで欠かせないものである。日本社会に深く根付いた,外国人の生を軽視して良いとする植民地主義を剔抉し克服していかなければ,彼・彼女らが安心して教育を受ける/教育を行う権利を保障していくことは難しいだろう。
多文化共生を「ハッピートーク」に終止させてはならない。それは,あらゆる人々の生と権利が平等に保障される社会を築いていくために,差別と不平等の歴史と現実,構造を私たちに直視させ,連帯を育んでいく重要な鍵なのだ。




