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論文

「みんなちがって,みんないい」でよいのか?
―マジョリティの意識改革をめざした教育に向けて―

松尾 知明 写真
法政大学キャリアデザイン学部 教授
松尾 知明
法政大学キャリアデザイン学部教授。国立教育政策研究所・総括研究官等を経て現職。専門は,多文化教育とカリキュラム。著書に『改訂新版 多文化共生のためのテキストブック』,『日本型多文化教育とは何か』,『多文化クラスの授業デザイン』,『「移民時代」の多文化共生論』,『多文化教育の国際比較』,『21 世紀型スキルとは何か』(以上,明石書店),『アメリカの現代教育改革』(東信堂),『新版 教育課程・方法論』(学文社)等多数。

本稿では,「みんなちがって,みんないい」という多様性の理解だけでは多文化共生は実現しないことを指摘するとともに,社会に存在するマジョリティとマイノリティの権力関係に注目し,マジョリティ性への気づき,マイノリティの物語の理解,社会をより公正に変える力の育成を通して,多文化共生社会を担う市民を育てる教育のあり方を提案する。

「みんなちがって,みんないい」……。これは,金子みすゞの「わたしと小鳥と鈴と」という詩の結びの言葉である。多文化共生について言及されるときに,他者と違っていることの価値を表現するフレーズとして引用されることも多い。

グローバル化に伴い地球の縮小化が進み,異なる人々の相互交流と相互依存は加速化している。一方で,排外主義が広がり,国の内外で異なる集団間の偏見や差別,分断が深刻化している。このような状況のなかで,多様性にどう向き合っていくのかが問われる現在,違いに対する寛容や尊重といった姿勢はきわめて重要な視点の一つであろう。

しかし,「みんなちがって,みんないい」でよいのだろうか。多文化共生の文化を醸成していくにはどうすればよいのだろうか。

本稿では,マジョリティ性の概念を手がかりに,多文化共生社会の実現に向けてどのような教育のアプローチを進めていけばよいのかについて考察したい。

1. 「みんなちがって,みんないい」をめぐって

1) 違いに価値をおく大切さ

わたしと小鳥と鈴を比べてみると,それぞれにはできることとできないことがある。それらはいずれかがすぐれているといったものではなく,そうした違いをもつことがそれぞれ固有の特徴となり持ち味となっている。この詩では,わたしと小鳥と鈴はできることがみんな異なるが,違っているからこそ価値があり,「みんなちがって,みんないい」とする多文化共生に向けた世界観が表現されている。

わたしと小鳥と鈴と

金子みすゞ

私が両手をひろげても,
お空はちっとも飛べないが,
飛べる小鳥は私のように
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても,
きれいな音は出ないけど,
あの鳴る鈴は私のように,
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と,小鳥と,それから私,
みんなちがって,みんないい。

(出典)金子みすゞ(2011),pp. 18~19.

このような多様性のイメージは,サラダボール,万華鏡,レインボーなどとして例えられることも多い。構成する要素にはさまざまな違いがあるからこそ,全体として一つになるときにすばらしいまとまりとなるといった多様性の捉え方である。こうした見方や考え方は,違いに価値を見出し,違いを社会の負担ではなく,社会を豊かにする資源として捉え直しているという点で大きな意味をもつ。

現代社会にはさまざまな人権問題がある。例えば,東京都の人権に関するパンフレットでは,女性,子供,高齢者,障がい者,同和問題(部落差別),アイヌの人々,外国人,HIV感染者・ハンセン病患者・新型コロナウイルス感染症等,犯罪被害者やその家族,インターネットによる人権侵害,北朝鮮による拉致問題,災害に伴う人権問題,ハラスメント,性自認,性的指向,路上生活者,その他,が取り上げられている(東京都総務局人権部人権施策推進課,2024)。

これらをよく検討してみると,人権問題には,人の違いに起因する偏見や差別に関わるものが多いことがわかる。出る杭は打たれるという言葉にあるように,人と違うということはこれまで,否定的に捉えられる傾向にあった。人と違うことは克服すべき問題であり,価値というよりはむしろ社会で負うべき負担と考えられる傾向にあったのではないだろうか。

しかしながら,マジョリティであるかマイノリティであるかどうかに関わらず,すべての人は等しく人権をもっている。このことを考えると,社会的な力関係に関わらずすべての人の違いに価値を認め,尊重しようとする価値への転換は重要である。こうした「みんなちがって,みんないい」が表現している態度は,ひとり一人が大切にされる社会を築いていくために私たちがもっておくべき基本的な資質・能力の一つであると思われる。

2) 「みんな違って,みんないい」でよいのか

しかし,「みんな違って,みんないい」ということでよいのだろうか。このような見方・考え方をもつことで,多文化の共生につながっていくのであろうか。

ここで問題にしたいのが,マジョリティとマイノリティを同列に比べられるのか,このような多様性のイメージが集団間にある権力作用をかくしてしまわないか,といった点である。

ロランバルド(1999)が提起したエックスノミネーション(exnomination)という概念がある。Exは「外に」,nominationは「名指す」で,名指しされないことを意味する。すなわち,権力の主体が名前を与えられないことによって,自然なこと,当たり前のこととして受け入れられ,その権力性が隠されてしまうことを説明する概念である。アルチュセールの権力論を表現する用語として使われている。

例えば,多様性や多文化という言葉を使うとき,私たちがイメージするのは,外国人,女性,性的マイノリティ,障がい者などの社会の標準やふつうとは異なる多様な他者のことではないだろうか。こうした社会の周辺にいるマイノリティが意識される一方で,社会の中心にいるマジョリティについてはあまり意識にのぼらない。こうしてマジョリティ集団は,ふつう,あたりまえであるため検討の対象として認識されないことになる。社会の中心にいても対象化されなければ問題にされることもない。こうして,マジョリティとマイノリティの非対称な関係は,問われることなく維持存続されていくことになる。

したがって,「みんなちがって,みんないい」で止まってしまってはいけないだろう。マジョリティを問わないことは,異なる集団間の不平等な社会関係を温存することにつながる。「みんなちがって,みんないい」といった見方や考え方は,多文化共生に向けた出発点として重要だが,さらに,一歩先を見据え,多文化共生の実現に向けて,マジョリティの権力作用について問うことが重要であるといえる。

2. 多様性をどう捉えるか

1) 多様性とは

では,そもそも多様性とはどのようなものとして理解すればよいのだろうか。ここでは,みんなが同じであると同時にみんなが違うということ,状況によって変化するということ,などを踏まえた多様性の概念をいかに整理すればよいのかについて検討したい。

人間は異なっていることよりも同じであることの方がはるかに多いといえる。例えば,人間は道具や言葉を使い高度な問題解決を行なうことができ,生まれながらに等しく人権をもっており,また,環境や貧困など地球規模の困難な課題を共有している。このように,私たちは人として共通する点が圧倒的に多いといえる。

にもかかわらず,差異というものは私たちの生活に大きな影響を与えていることも事実である。人は,環境からの影響を受けながら個性的に育つが,人種,民族,文化,宗教,ジェンダー,セクシュアリティ,年齢,国籍,障がいなど,人を分ける軸によって形成される社会集団への帰属から大きな影響を受け,個性的に成長している。例えば,日本人として生まれれば,日本語を話すようになり,日本社会のやり方を学んで日本人らしく振舞うようになる。

では,同じであると同時に異なっている私たちの存在を,いかに概念化すればよいのだろうか。ここでは図1のように,個人,文化集団,人類の一員といった三重の円として捉えたい。私たちは固有な個人として個性的な存在であり,複数の文化集団のメンバーとしての多様性をもち,また,同じ人間として共通の特性や課題を有しているといえる。

図1 個人,文化集団,人類の一員

3つの属性が併存する私たちは,状況や文脈に応じて位置取りをしている。例えば,海外にいけば,日本人であることが意識されるだろう。また,時間的な経過のなかで所属する集団やそれらの集団の優先順位,位置取りの仕方などが変化する場合もある。例えば,外国につながる自分の出自を否定的に捉えていた人が,時間の経過を経て誇りに思えるようになるといったこともあるだろう。

私たちのもつ多様性をこのように状況や時間的な経過によって変化する可変的で流動的なものであり,文脈によってだれでもがマジョリティにもマイノリティにもなりうるものとして考えたい。こうした多様性の捉え方は,違いのみを強調して,「○○は,……である」といった文化本質主義に陥らないためにも有効であると思われる[1]。

2) 多様性とマジョリティ性

多様性にはさらに,マジョリティとマイノリティといった権力関係が内在しているものととらえたい。その社会的意味を理解するために,ここで,マジョリティ性という概念を提案したい。マジョリティ性とは,アメリカの白人性研究から着想を得たもので,マジョリティ/マイノリティの差異のシステムによって形成され,マジョリティのもつ目には見えない文化実践,自己や他者,社会を見る視点,構造的な特権から構成されるものをいう(松尾 2023)。

例えば,男/女のジェンダーの軸をもとに考えてみたい。男性としてのマジョリティ性は,目には見えない男中心の文化,男らしさ/女らしさのまなざしを形成し,男性からの強制というよりはむしろ,ふつう,当たり前とされる男女間の不可視な文化実践やまなざしによって男性が優位な地位や立場を獲得するといった構造的な特権が形成されている。ジェンダーによる差異は目には見えないが,例えば,「ガラスの天井」という言葉もあるように,突き抜けることのできない強固な社会的な障壁が存在している。

このようなマジョリティ性を背景とした権力作用は,ジェンダーの軸と同様に,人を分けるその他の軸においても共通している。多様性には,社会でふつう,当たり前として可視化されないマジョリティの特権が内在しているのである。したがって,多文化共生社会の実現のためには,マジョリティ性を問い,マジョリティの意識改革を進めていくことが中心的な課題の一つになると思われる。

3. 多文化共生を促す教育のアプローチ

1) 3つの目標

では,可変で,権力作用を内在する多様性の概念を踏まえて,多文化共生に向けてどのような教育を構想していけばよいのだろうか。ここでは,3つの教育目標を設定し,マジョリティ性を問い,マイノリティの声を聞き,多文化共生を構築していく教育のアプローチを提案したい。

教育目標の1つ目は,違いにかかわらずすべての子どもに学力をつけ,キャリアの自己実現をめざすということである。マジョリティ性のもとで,マイノリティはしばしば学力不振に直面している。例えば,外国につながる子どものように,学校で学習言語への支援がないために,学力不振に陥っているといったことがある[2]。社会の力関係のなかで,差異はしばしば,学力問題につながっている。そのため,違いにかかわず,だれもが学力をつけ,自己実現できるようにサポートしていくことが平等で公正な社会の実現につながっていく。

教育目標の2つ目は,多様性を伸長するということである。言語や文化はアイデンティティを育んだり,異文化間のコミュニケーションをしたりする基盤となるものである。自らの言語や文化について学び,アイデンティティの基盤を形成するとともに,自分とは異なる多言語や多文化を学び,文化間を超えて効果的にコミュニケーションをとることができることがめざされる。例えば,外国につながる子どもの場合,自分自身の継承語や継承文化を学ぶ機会を得て,アイデンティティを追究できるようにするとともに,日本語や日本文化を学び,文化間を越えてコミュニケーションがとれるようにすることがめざされる。

目標の3つ目は,多文化社会の市民を育成するということである。多文化共生を実現する教育は,多文化社会を生き抜く市民を育てる市民教育である。後述するが,とくに,文化的障壁をなくすバリアフリー化を進め,だれもが活躍できるようなユニバーサルデザイン化を進めることで,多文化共生社会の構築を進めていく市民の育成がめざされる。

2) 教育のアプローチ

これらの目標に迫るために,本稿では,多文化社会について知り,マジョリティ,マイノリティについて知ることで社会認識を育て,さらに,社会を変えていくための問題発見解決能力を育てるアプローチを考えたい。ここでは,そのアプローチを具体的にイメージできるように,授業の実践例を簡潔に紹介する(詳細は,松尾 2011, 2020, 2021を参照)。

(1) マジョリティ性への気づきと理解を促す授業づくり

第一に,マジョリティ性への気づきと理解を促す授業づくりである。これは,自分,他者,社会について知ることで多文化社会の基本的な理解を促すとともに,マジョリティであることの社会的な意味について理解することがめざされる。

① 多文化社会の理解

多文化社会を理解する授業例には,以下がある。

  • ・学校・大学の構内や街などを散策し,場所,掲示,もの,人などのなかの身近な多文化を探す「多文化マップづくり」(松尾 2020: 35-37
  • ・多様性や多文化などをキーワードに新聞記事の切り抜きを行った後,KJ法を使って整理し,多文化をめぐる世界の課題や問題をプレゼンする「新聞にみる多文化」(松尾 2020: 39-40
② マジョリティ性の理解

マジョリティ性を理解する授業例には,以下がある。

  • ・「青い目・茶色い目」の実験授業[3]のビデオを視聴し,マジョリティ・マイノリティの権力作用について考えさせる「偏見と差別」(松尾 2020: 72-81
  • ・マジョリティとしての日本人にはあたり前な日常の学校実践から日本人の特権を探す「日本の学校と日本人性」(松尾 2011: 189-192

(2) マイノリティの物語の発掘と理解

第二に,マイノリティの物語を発掘するとともに,かれらの理解を促す授業づくりである。これは,マイノリティの生活世界に焦点をあて,マジョリティ性のもとで沈黙させられてきたマイノリティの多様な物語を掘り起こすとともに,かれらの生きづらさや困難さなどといった文化的な障壁を理解することがめざされる。

① 多様な物語の掘り起こし

マイノリティの多様な物語を掘り起こす授業例には,以下がある。

  • ・川崎市桜本地区に位置する青丘社ふれあい館のHPにあるハルモニ(おばあさん)の語りを分析し話し合う「在日コリアンの物語」(松尾 2020: 164-168
  • ・最寄りのモスクを訪れ,観察や聞き取りをし,日本に在住するムスリムの人々やイスラム教について学ぶ「在日ムスリムの物語」[4](松尾 2020: 186-190
② 文化的障壁の理解

マイノリティの文化的障壁を理解する授業例には,以下がある。

  • ・日本の学校でかれらが直面する言語や文化の壁について学び,外国人児童生徒を学校に受け入れる計画を考えさせる「言語と文化の壁」(松尾 2021: 43-52
  • ・白雪姫のビデオを分析し,男/女,外/内,自立的/依存的などの二項対立的な社会的メッセージを読み取り,性役割の再生産について考える「女らしさという壁」(松尾 2011: 62-65

(3) 多文化共生社会への構築

第三に,多文化共生社会への構築を促す授業づくりである。これは,マイノリティの特別なニーズを克服するバリアフリー化,さらに,マジョリティ中心の社会の物語を多文化の視点から語り直し,不平等な社会構造を,より公正で平等な社会へと変革していくユニバーサルデザイン化を図っていくことがめざされる。

① バリアフリー化

バリアフリー化を促す授業例には,以下がある。

  • ・文化的障壁を取り除くために,日本語(理解と表現),学習方略(メタ認知方略,課題に基づく方略)などの支援を工夫して,教科内容をベースとした授業づくりの学習指導案を作成する「授業の壁のバリアフリー化」(松尾 2021
  • ・「いもむしラクビー」[5]のように,言語や文化の違い,障害のあるなしに関わらずだれもが「ゆるっと」楽しめるスポーツを考える「ゆるスポーツを考案しよう」(松尾 2020: 252-254
② ユニバーサルデザイン化

ユニバーサルデザイン化に向けた授業例には,以下がある。

  • ・One Teamで活躍したラグビーの多様な日本代表チームなど,共生していると感じる瞬間,場面,事例を探す「多文化共生を発見しよう」(松尾 2020: 247-250
  • ・50年後に多文化共生が実現した日本社会を想像し,それに至る10年後,30年後,50年後の工程表を作成する「多文化共生社会の構想」(松尾 2020: 257-262

4. 多文化共生への社会変革のプロセスと多文化共生空間

1) 多文化共生への社会変革のプロセス

これらの授業では,多文化共生への社会変革のプロセスを意識して,多文化社会,マジョリティ,マイノリティについての「社会認識」を育むとともに,多文化の視点からより公正で平等な社会へと変革していくための「問題発見・解決能力」を培うことを意図している。

すなわち,現状の「社会認識」を育てるために,第一に,マジョリティ性への気づきと理解を促すために,多文化社会についての理解を深めるとともに,マジョリティの視点から主流集団を中心としたどのような言説が実践され,マジョリティ中心の社会構造がいかに構築されているのかといったマジョリティ性への気づきを促す。

第二に,マイノリティの物語を発掘するために,日本人としてのマジョリティ性のもとで沈黙させられてきたマイノリティの多様な物語を掘り起こすとともに,かれらがいかなる文化的な障壁を経験しているのかを明らかにする。

そうした日本という多文化社会,マジョリティ,マイノリティについての社会認識を育むとともに,第三に,新しい日本の物語を再構築するために,日本の物語を,多文化の視点から,新たな物語として語り直すことで,不平等な社会構造を,より公正で平等な社会へと変革していくための問題発見・解決能力を育て,多文化共生社会の構築を担う市民を育成していく。

2) めざされる多文化共生空間とは

このような社会認識と問題発見・解決能力を育成する教育実践を通して,3つの特徴をもつ多文化共生空間の構築がめざされる。

一つ目は,すべての個人の学力や能力が保障される空間である。マジョリティかマイノリティかの違いに関わらずだれもが効果的に学び,コンピテンシーを育み,能力を十分に発揮できる場がめざされる。

二つ目は,異なる言語や文化を学び合う空間である。自分とは異なる言語や文化を学び,文化を超えて効果的にコミュニケーションや行動がとれるように,異なる言語や文化を双方向的に学び合う場がめざされる。

三つ目は,新しい知識を共創する空間である。同質的な集団においてよりも異なる集団の協働により新しいものが生まれることがわかっているが,そうした創造やイノベーションを生み出す知識を共創する場がめざされる。

このような多文化共生空間の構築を学級から,学校,さらに社会へと広げていくことで,多文化共生社会を築いていくことが考えられるのではないかと思われる。

おわりに

多様性には光と影の側面がある。多様性は社会に活力を与え,豊かさをもたらすものである。また,多面的多角的視点や異なる人々の交流は創造やイノベーションを育むこともある。他方で,多様性には,権力作用が内在し,貧困や不平等な社会構造を生んでいるという問題がある。また,多様性は衝突や軋轢,争いの原因となることも少なくない。このような多様性の光と影と適切に向き合い,多様性に価値を置き,推進するとともに,社会の不平等を克服していくことで,インクルーシブな多文化共生社会をめざしていくことが期待されるのではないかと思われる。

多文化の進む日本社会においてはこれからますます,多様性と共に生きていくことが求められる。マイノリティには社会的な認知や地位の向上に向けたエンパワーメントが,マジョリティにはマジョリティ性への気づきと自己変革が中心的な課題となるだろう。

違いに関わらずだれもが活躍できる平等で公正な社会,人権が等しく尊重される平和な世界を築いていくためにも,マイノリティの視点に立って,多文化社会の現実を知り,マジョリティとマイノリティの権力関係を問い,関係を組み替え,さまざまな背景をもつ人々の対話や学び合いを促し,協動的に問題発見・解決し,イノベーションを共創していくことで,多文化共生空間を醸成していく教育が求められているといえる。

グローバル化,多文化化が急速に進むなかで,多様性とともに生きていくコンピテンシーを育むための教育が今求められているのではないだろうか。

1 文化本質主義とは,文化には本質的な実体があるとする考え方をいう。この集団は本来的に異なるという見方は,集団の純粋性や同質性を強調する傾向にあり,集団内の多様性を抑圧する。また,他の集団に対しては,本質的に異なるということで越えられないバウンダリーを形成し,相互理解を詐害してしまう。
2 先行研究から,日常で使用する日常言語は1~2年で獲得されるのに対し,教科に特有な抽象度の高い学習言語への習得には5~7年かかるといわれている。したがって,日本語を流暢に話していても,授業についていけない外国につながる子どもは多い。このような言語的ニーズがあるにもかかわらず,学習言語の支援のない日本の学校教育の現状は,かれらを制度的に落ちこぼす形で機能しているといえる。
3 この授業は,青い目か茶色い目かといった目の色の違いをもとに偏見や差別を実体験することを通して,人種差別を理解させようという試みである。エリオット先生がキング牧師の暗殺事件を受けて,住民の100%が白人であるというアメリカ,アイオワ州ライスビルの子どもに始めた実験授業の実践である。
4 日本国内に在住しているムスリムの数も増加傾向にあり,現在では,外国人ムスリムはおよそ10万人,彼らの配偶者などで改宗した日本人ムスリムが1万人ほどで,合わせると約11万人のムスリムが日本に在住していると考えられている。イスラム教の礼拝所であるモスクも全国に100か所以上設置されている。
5 ゆるスポーツは,世界ゆるスポーツ協会代表を務める電通のコピーライターである澤田智洋さんの考案で,年齢,性別,運動神経,障がいのあるなしにかかわらず,だれもが「ゆるっと」楽しめるスポーツのことをいう。いもむしラクビーは,ゆるスポーツの種目名の一つで,下半身を袋で包み,いもむしになりきって,ほふく前進か転がるかしながら,ラクビーをプレイする。脚を使えないというハンディを設けることで,脚に障がいをもつ人と同じ条件でスポーツを楽しむことができる。(澤田,2021

[参考・引用文献]

金子みすゞ(2011)『こだまでしょうか,いいえ誰でも。︱金子みすゞ詩集百選』MPミヤオビパブリッシング.
澤田智洋(2021)『マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう』ライツ社.
東京都総務局人権部人権施策推進課(2024)「みんなの人権―人権問題の理解のために」東京都.
松尾知明(2011)『多文化共生のためのテキストブック』明石書店.(2025.10 改訂新版)
松尾知明(2013)『多文化教育がわかる事典―ありのままに生きられる社会をめざして』明石書店.
松尾知明(2020)『「移民時代」の多文化共生論―想像力・創造力を育む14のレッスン』明石書店.
松尾知明(2021)『多文化クラスの授業デザイン―外国につながる子どものために』明石書店.
松尾知明(2023)『日本型多文化教育とは何か―「日本人性」を問い直す学びのデザイン』明石書店.
松尾知明(2025)「ダイバーシティと国際理解教育に関する一考察―「文化的に適切な教育」の議論を手がかりに」国際理解教育学会編『国際理解教育』Vol. 31,明石書店,4-13頁.
ロラン・バルト(森本和夫・林好雄訳註)(1999)『エクリチュールの零度』,ちくま学芸文庫.
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